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懐かしい映像ありがとうございます。森本に住んでたので本当に懐かしかったです。この頃はまだ子供でしたが。よく列車見てたのを思い出します。妻と今の映像も楽しく拝見しました。新幹線の陸送、すごかったです。また、帰省した時、北陸線見に行きたいと思いました。また。楽しみにしてます。
メッセージありがとうございます。そうですか!今は、もう森本には住んでおられないのですね。金沢も、新幹線を始め、道路も建物も、色々と変わりました。
懐かしい映像ありがとうございました。急行能登上野でしか見られなかったけど好きな列車でした。
メッセージありがとうございます。私も急行能登、越前って好きでした。この時代は旧型客車でしたが、その後14系になり、電車の489系になりましたね。旧型客車の時代は、あっという間に終わったしまったようです。時の流れは早いもんですね。
今はなき青海電化(電気化学)のセメント貨車、懐かしいですね~!ちょっと前までは当たり前のように見られたのに・・
メッセージありがとうございます。電気化学のセメント貨車ってもしかして、タキの貨物列車のことかな?私は何も知らずに来た列車を片っ端から撮影していたのですが、電気化学のセメント貨車なのですね。初めて知りました。今、インターネットで調べたら、セメントを始め色んな物を作っている大企業なんですね。
交流電機は原則後ろ側のパンタのみ挙げていますがこれは万が一の架線支障時、前のパンタだと破損した破片が屋上機器に飛散・衝突し更に被害が大きくなるのに対し、後ろ側だとその危険が極めて小さくなること、そして運転席から確認する際視認し易い事によります。直流電機が前後ともあげるのは2つ使わないと必要な電力が得辛いためです(交流と直流の特性の違いです)。しかし北陸本線と函館本線では例外的に片方のみを使用し折り返しの際パンタの交換は行っていません。これはエンド交換の際一旦パンタを下しまた上げると車内の各種機械装置全ての電源が落ちてしまい、再起動させる手間がかかります。また機器によっては出来るだけ止めない方がよいものもあります。そこで北陸本線では常に直江津側のパンタを使用していました。尚EF81はデッドセクション通過後交流区間最初の停車駅で前パンタを下し、またデッドセクション通過前に前のパンタを挙げていました。パンタの回路は運転席で手動で切り替えられます。そのため常に後ろ側を使う事が出来ました。485系も両パンユニットはおそらく片方のパンタはオフになっていたものと思われます。能登のグリーン車の帯は検査入場順に消されていたのでこのころは帯があるものないもの其々いました。しかし貴動画のスロ62はその後程なく消された事でしょう(検査周期を考えるとそろそろの頃の様ですし…)懐かしい画像ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。まるほど、EF70は、そういう理由で、パンタを降ろさないためだったのですね。「車内の各種機械装置全ての電源が落ちてしまい、再起動させる手間がかかります。」これは、新しいEF71やEF75、ED78などは、このような事はなかったのですね。昔青森で見てたら、やってきたED75が連結を切り離して、少し移動したところでパンタを上げ変えしていたように思います。その時、車内の機器の再起動の音がキューンと鳴っていまして、その音を録音したテープがあります。EF70は、車輌も古く、このような再起動の時の手間が、かかる時代の車輌だったということですね。勉強になりました。ありがとうございます。
自分の産まれる前ですが、ここはかなり近所です。
メッセージありがとうございますじゃー、生まれる前には、こんな列車が走っていたと言う事で。
けいさん さんメッセージありがとうございます。越後湯沢に行けば何とか撮れるのでしたら、そのはくたかに乗ってしまえば北陸本線にあっと言う間にいけますよ。なにしろ、六日町から直江津まで160km/hで走るそうで。
懐かしい映像ありがとうございます。森本に住んでたので本当に懐かしかったです。この頃はまだ子供でしたが。よく列車見てたのを思い出します。
妻と今の映像も楽しく拝見しました。新幹線の陸送、すごかったです。また、帰省した時、北陸線見に行きたいと思いました。また。楽しみにしてます。
メッセージありがとうございます。
そうですか!
今は、もう森本には住んでおられないのですね。
金沢も、新幹線を始め、道路も建物も、色々と変わりました。
懐かしい映像ありがとうございました。急行能登上野でしか見られなかったけど好きな列車でした。
メッセージありがとうございます。
私も急行能登、越前って好きでした。
この時代は旧型客車でしたが、その後14系になり、電車の489系になりましたね。
旧型客車の時代は、あっという間に終わったしまったようです。
時の流れは早いもんですね。
今はなき青海電化(電気化学)のセメント貨車、懐かしいですね~!ちょっと前までは当たり前のように見られたのに・・
メッセージありがとうございます。
電気化学のセメント貨車ってもしかして、タキの貨物列車のことかな?
私は何も知らずに来た列車を片っ端から撮影していたのですが、電気化学のセメント貨車なのですね。初めて知りました。
今、インターネットで調べたら、セメントを始め色んな物を作っている大企業なんですね。
交流電機は原則後ろ側のパンタのみ挙げていますがこれは万が一の架線支障時、前のパンタだと破損した破片が屋上機器に飛散・衝突し更に被害が大きくなるのに対し、後ろ側だとその危険が極めて小さくなること、そして運転席から確認する際視認し易い事によります。直流電機が前後ともあげるのは2つ使わないと必要な電力が得辛いためです(交流と直流の特性の違いです)。
しかし北陸本線と函館本線では例外的に片方のみを使用し折り返しの際パンタの交換は行っていません。これはエンド交換の際一旦パンタを下しまた上げると車内の各種機械装置全ての電源が落ちてしまい、再起動させる手間がかかります。また機器によっては出来るだけ止めない方がよいものもあります。そこで北陸本線では常に直江津側のパンタを使用していました。
尚EF81はデッドセクション通過後交流区間最初の停車駅で前パンタを下し、またデッドセクション通過前に前のパンタを挙げていました。パンタの回路は運転席で手動で切り替えられます。そのため常に後ろ側を使う事が出来ました。485系も両パンユニットはおそらく片方のパンタはオフになっていたものと思われます。
能登のグリーン車の帯は検査入場順に消されていたのでこのころは帯があるものないもの其々いました。しかし貴動画のスロ62はその後程なく消された事でしょう(検査周期を考えるとそろそろの頃の様ですし…)
懐かしい画像ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。
まるほど、EF70は、そういう理由で、パンタを降ろさないためだったのですね。
「車内の各種機械装置全ての電源が落ちてしまい、再起動させる手間がかかります。」
これは、新しいEF71やEF75、ED78などは、このような事はなかったのですね。
昔青森で見てたら、やってきたED75が連結を切り離して、少し移動したところでパンタを上げ変えしていたように思います。
その時、車内の機器の再起動の音がキューンと鳴っていまして、その音を録音したテープがあります。
EF70は、車輌も古く、このような再起動の時の手間が、かかる時代の車輌だったということですね。
勉強になりました。ありがとうございます。
自分の産まれる前ですが、ここはかなり近所です。
メッセージありがとうございます
じゃー、生まれる前には、こんな列車が走っていたと言う事で。
けいさん さん
メッセージありがとうございます。
越後湯沢に行けば何とか撮れるのでしたら、そのはくたかに乗ってしまえば北陸本線にあっと言う間にいけますよ。なにしろ、六日町から直江津まで160km/hで走るそうで。